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<ノベル>
「焼けてるな……」
「そうだな」
月下部理晨とイェータ・グラディウスがその庭を眺めていた。庭は大半が焼けていたが、いくらかは燃え残っていたし、トレリスやアーチの様子は見て取れた。理晨は隣の家からの延焼で焼け落ちたその庭の土を少し掘り返して様子を見ると、頷く。肩では白と黒のバッキー……カナンが同じように庭を眺めていた。
「なにを見てるんだ?」
「ここの土だよ。これならちょっと手を入れれば、また十分に薔薇を育てられそうだな」
ふたりはしばらく、無言のままその庭を眺めていたが、やがてイェータが促した。
「――そろそろ行こうぜ、理晨」
「ああ」
*
中央病院。かつて恋人のために足繁く通った病院に、霧島奏一は入院している。その、静かに肩でも叩けば起きそうな様子で眠りについている彼の病室に、今日は人が集まっていた。彼の枕元には、一輪の薔薇が活けられていた。
「それは、薔薇の……?」
何かの苗の鉢を抱えたトリシャ・ホイットニーに、りん はおが尋ねていた。久しぶりに銀幕市を訪れたりんは偶然依頼を耳にして参加したのだ。彼にトリシャはにっこりと微笑み、それぞれを示す。
「ええ、ブルゴーニュと、ローズユミというの。……どちらも白い、綺麗な花が咲くのよ」
「そうなんですか」
鉢はやや大きめの、花がそろそろ見られる二年生。トリシャの庭にも彼女の好きな薔薇が植えてある。彼が庭を再建したいのならば種や苗の提供ができるだろう、と持ってきたのだ。他にも持って来たかったのだが、流石に少し大荷物になってしまいそうで諦めたのだった。
「これで人数分か?」
「ええ……ありがとうございます。あと二人、協力してくださることになってますので、これで全部です」
手際よく簡易ベッドを病室に運び込んだ三嶋志郎が、霧島を不安そうな顔もちで見つめる少女に問いかけた。姉の恋人を見つめていた彼女だったが、頷いて答える。その手には、乾いた一輪の薔薇が握られていた。
ドアが静かに開けられて、理晨とイェータが現れる。これで人がそろったのか、と人数を数えた三嶋がそばの簡易ベッドに横になると、頭の後ろに腕を回した。ふぁ、と欠伸をかみ殺して手を振る。
「先に寝るぜー。お休み……」
「――それでは、火をつけますね」
かちり、と少女がライターの火を点けた。……とろりと薔薇が、熔けだす。
「どうか、どうかお願いします。彼を――」
*
真っ白な霧が晴れるように、視界が晴れる。五人がいたそこは、鬱蒼とした森の中だった。左右さえ見失いそうな緑に、季節を違えているはずの大輪の花が咲き誇る。どこかいびつな、けれど美しい森だった。
「薔薇だ――」
「ええ。でも違う時期に咲く筈の種類が一緒に咲いているようね……」
りんが小さく呟いたのにトリシャが応える。狂ったように薔薇があちこちに絡まり、つぼみを開いている。何かが息をひそめているかのような密度の濃い存在感がそこにはあった。夢の中のせいなのか、それともミダスの言っていたネガティブパワーの影響なのか。嫌な予感を覚えたイェータが、持ち込んだアサルトライフルを握る。
末尾を歩いていた三嶋がそれに気づいてふと目を止めたが、また周囲を興味深げに見つめる。彼の少し前を歩いていたりんには、けれど彼の小さな呟きが聞きとれた。
「――何だか来るところを間違ったみたいな感じのもいるな。俺も含めて」
実際はネガティブパワーの影響を受けている地とはいえ、観光地にもありそうな、戦場でもない静かな森にこうして装備を固めて歩いていることに場違い感を持ったのかもしれない。現に三嶋自身も拳銃を下げているのが見て取れた。でも、とりんは思う。
でもきっと、彼らも霧島が薔薇を失ったように何かを失ってきたのだ。だからこそ、眠り続ける霧島に何かを想ってこの依頼を受けたのだろう。……そう、彼も。
「ここらへん、水っぽくなってる。足もとに気をつけて」
先を行く理晨とイェータが振り返った。ちょうど彼らの後ろにいたトリシャがええと頷く。やや不安定な足もとに注意しながら、一行は歩を進めた。足元以外には特に何も起こらない。動物の気配はないが、植物の息づいている空気があった。
ここはきっと彼にとって心地のいい場所なのだろう。イェータは湿度がやや高い森の中を見渡しながら思った。逃げ込むことはきっと楽に違いないが……彼は前を歩く理晨の音を見ていた。イェータにとっては彼が基本だ――苦しんでも、もがきながらも立ちあがって前に進もうとする彼が。きっとそれは誰だってできることなのだ。そう、霧島にとっても。
*
そう大して歩かないうちに、五人はその場の雰囲気が変わったことに気付いた。見える先が開けたのだ。そして。
「え……?」
「これは――」
「おっと、これは凄いな」
視線の先にいるのは木の根元に座り込む青年。その体に巻きついた薔薇の蔓が、ゆらりと揺れる。まるでそれ全てがチュウブで、彼をそれで維持しているかのような光景。見ていると彼はふと顔を上げた。
「あれ? ――お客さん?」
「あなたが、霧島奏一さんですか?」
りんがそっと訊ねると、彼は頷く。
「あんたを心配してる人がいるんだ。そろそろ、目を覚まさないか?」
イェータが近づいて言ったのに、彼は合点がいったように呟いた。
「そうか……やっぱり、夢なんだ」
「夢は居心地がいいかもしれない。けどずっと夢の中にいるのは、それは生きていることにはならないだろ?」
理晨が重ねるが、彼は視線を下げている。
「夢でも……夢でもいいんです。ここでこうして、彼女のことを想えるのだから」
「現実にはもう薔薇が無いからか?」
「本当は失ったんだってことは、わかってます。薔薇のことも……愛して、たのに」
彼女を失っただけの重みが、彼の薔薇にはあったのだと理晨は思った。何かを失った記憶ならば、彼にもある。今でも夢に見ることすらあるその記憶は、思いだすたびに辛く、哀しく、そして重い。それでも理晨はここまで来た。諦めたくなかったし、前に進まなくてはという想いがあったからだ。――自分が倒れることで無駄にしてしまう想いが、この世には存在する。
「でも、前を向いてほしいんだ。きっと庭だって作り直せるし、薔薇はまた咲く」
理晨が手を伸ばした。蔓がどう絡まっているかは不明だが、ともかく彼をそこから出そうとしたのだ。が、霧島が小さく身を引くかひかないかの内に、視界の外から何かが風を切るような音を立てて飛来した。
「……薔薇の蔓」
ばつんと硬い音を立て、コンバットナイフでそれを断ち切ったイェータが、斬られてなお僅かに蠢くその蔓を見て呟いた。霧島はそれを見て怪訝そうな表情を見せるが、彼が膝を抱えるその腕に巻きついた蔓が、また動物めいてゆらりと揺れた。周りの薔薇を見て回っていた三嶋がそれを見て眉をひそめる。
「森の薔薇が生きてるのか……?」
「でも、いままで襲ってきたりは」
りんが呟く。彼が辺りを見回すと、ざわりとかすかに空気が揺れて、静かになった。
「目覚めたく、無いんです。――怖いんです。また失うのかもしれないと思うと、また手にする、ことが」
ぽつりと霧島が言った。森の薔薇もまた、静かになる。
「――薔薇って、手間のかかる花よね。それでも育てていたということは、それだけ彼女を愛していたのね」
ふとトリシャが、二つの鉢をそっと地面に下ろして話し始めた。
「ね、あなたの庭をもう一度作り直す手伝いなら出来るわ。あなたに見てもらおうと思って、この鉢を持ってきたの。他にも沢山の種類の薔薇の苗があるし、種類が足りないなら取り寄せることも出来るわ」
同じ薔薇を育てているものとしては、諦めずにもう一度育ててほしかった。義務感だけで育てていたのならば別だが、さっき彼は薔薇も愛していたと口にしたならばここで、諦めてなど欲しくなかった。そう、彼女への想いも含めて。
霧島はその鉢を見つめた。その視線は迷う様に蔓の這う爪先に向けられ、またあたりをうろつく。彼はぼんやりとどこかを見ながら、呟くように言葉をこぼした。
「気持ちは……ありがたいのですけど――」
言葉が、途切れた。途切れさせられたのだ。霧島を殴ったイェータに、理晨が慌てて止めに入る。
「さっきから聞いてれば! てめぇはここに閉じこもってりゃ満足かもしれねぇがな! てめぇのために心を痛める誰かの善意に、てめぇはどうやって応えるつもりだ!」
彼をお願いしますといった少女の声が蘇る。彼の悲嘆が理解できないわけではない。二度も恋人を失ったようなものだ。でもあの恋人の妹だって身内を失った悲しみを彼と共有しているはずだ。そして彼女は、目の覚めない彼の身を想っている。ここで彼が失われたら、彼女はどれだけ深い傷を負ってしまうのだろう。
「やめろって! ……まぁ、イェータの言いてぇことも、わかるんだけどな」
理晨に諌められ拳は収めたイェータだったが、気持ちの方はそうもいかない。引きずってでも連れ帰るつもりではあったが、それ以上に彼が自身の現状の不甲斐無さに気づかないことが問題だった。
「……誰が」
殴られて目を瞬かせていた霧島が呟く。彼にトリシャは口を開いた。
「もう一度、今度は私に叩かれたい? あなたを心配して、あなたの為に頭を下げてくれる人がいるのに、その気持ちを無碍にする気なの?」
実際、イェータが殴っていなければ自分が平手打ちを喰らわせていただろうとトリシャは思った。彼には思い出してもらわなければならない。薔薇と彼女への愛もわかるし、大切にしたい気持ちもわかるし実際大切にしてほしい。だけど生きている人間を見ないで自分の殻にこもるのは許せないのだ。
「僕の、ことを――?」
「彼女の、妹さんですよ」
少し離れたところで、りんが応えた。
「彼女が?」
「あなたのことを慮って、市役所に依頼を出してくれたのが彼女なのよ」
トリシャが言いながらふとりんの手元をみて、言葉を止めた。彼が手元で持っているのは……マッチ、だ。
「おいおい、火でも点けるつもりか?」
三嶋がそばの薔薇の葉を触るのをやめてびっくりしたように振り返った。りんはそれに、静かに頷く。
「俺は、彼が薔薇を失うことになった炎を、単なる『終焉の業火』にしたくない。それだと彼が目覚めても、彼はまた炎で失うことに怯えながら過ごすことになるから。……この炎を、再生のための浄化の火にしたいんだ」
降りる沈黙。しゅっ、と軽い摩擦音がして、マッチが擦られた。誰ひとりとして動かないが、突然森の奥から蔓がはしる。それを素早く払いのけて千切った理晨は、霧島が目を見開いてその小さな炎を見つめていることに気づいた。ざわざわと、彼に巻き付いている蔓が鎌首をもたげるように動く。
「もし失っても、また取り戻せることを分かってほしい。それに――」
りんの手からマッチが離れ、ふわんと輪郭を揺れ動かしながら炎が地に落ちる。湿っているはずの地面は、瞬く間に燃え上がった。人に触れず、恐ろしい程のスピードで地を舐めて燃え広がる炎。彼の庭もやはりこのように燃えたのだろうか。霧島に巻きついた蔓が火に触れて、悲鳴のような音を上げる。
瞬く間に粗方の薔薇と木が燃えおち、あたりに生木の焼けた匂いが立ち込めた。夢の中だからなのか、あまりに早く燃え広がっていく。けれども霧島の周りの蔓だけが弱々しく蠢いていた。りんはそれを横目にしながら、あるものを探す……と、そのすぐそばに三嶋が立っていた。
「これ、探してたんだろ?」
それは、燃え残った薔薇。小さいながら二株程のその薔薇には、いくつかの葉と、小さなつぼみが三つ。りんはそれを土ごと掬うとそっと霧島に渡した。手をのばして受け取った彼は、瞳を細めてかすかに微笑む。
「薔薇の強さは、知ってるはず。庭にもまだ、生き残っている薔薇があるかもしれない」
そう、君の想いと同じように。
「早く見つけ出して、植えなおしてやらなくちゃ」
「そうよ、植え替えにはもうギリギリの時期なんだから、急がないと間に合わなくなるわ」
トリシャが言う。
「できるのは君だけだよ」
りんは、薔薇を見つめる霧島にそっと言った。だから、生きるべき場所に、気付いてほしいのだ。――抵抗するように蠢いていた蔓がまた動きを弱めたのを見て、理晨が腕を伸ばした。ぺしんと弱々しく抵抗する蔓を掴んで引き千切る。
「庭を造り直したいのなら、いくらでも手伝ってやれるし、薔薇を失くした寂しさを吐き出したいならいつだって話し相手になる。だけどそれは、ここじゃだめなんだ」
嫌がるように逃げる蔓を、霧島から引きはがす。
「夢の中じゃだめなんだ。現実の世界で、本当の生きる場所で、生身でなくちゃ意味がないんだ」
霧島に絡み付いていた最後の蔓を引き千切る。顔を上げた彼の瞳にはっきりした意志の色が浮かんだのを認めて、理晨は微笑むと立ち上がらせるために彼の腕を取った。
「――帰ろうぜ。やる事一杯あるだろ?」
*
病室は、眠りにつく前と同じように静かだった。目が覚めた三嶋が辺りを見渡すと、他の面々も小さく唸ったりして目を覚ましたようだ。ふと気がついて見やると、うっすらと目を開けた霧島が、ぼんやりと何かを見つめていた。そのそばでは少女が安堵のあまりにベッドに突っ伏して泣きじゃくっている。霧島は、自分の掌を見つめていた。先ほどまでの夢の中で、燃え残った薔薇を乗せていた、その手を。
「あー、こういうの、得意じゃないんだが」
三嶋が声を出すと、ゆっくり霧島が首を巡らせた。
「さっきまで持ってた薔薇、覚えてるか? あの、葉っぱのついてた」
こくりと頷いた霧島が、ややぎこちなく声を出した。
「ええ。花も一つついてましたし、蕾も」
「赤薔薇の葉の花言葉は、『あなたの幸福を祈ります』なんだと」
「え……」
「偶然だと思うか? でも、蕾が三つに花一つってのもあるんだ」
霧島はまた掌を見つめた。夢の中の薔薇を思い出しているのかもしれない。
「『永遠の秘密』さ。あれは確かにネガティブパワーが関係していたとはいえ、あんたの夢だ」
薔薇が失われても、きっとそれの永遠が失われることは無いのだ。彼女との思い出も、恋人同士ならきっと一つや二つはあったであろう共通の秘密も。――本当は、とうに分かっていたのかもしれない。
「心配かけたんだね……ごめん」
霧島は半身を起こすと柔らかく瞳を伏せ、まだ泣きじゃくる少女の頭にそっと手を置いた。起きだして様子を見守っていた面々にも、頭を下げる。
「みなさんも……ありがとうございました」
「薔薇の植え替えは、いつするんだ」
唐突に、イェータが口を開いた。
「……え?」
ぽかんと聞き返した霧島に、わかんねぇかなと彼は重ねる。
「植え替え、手伝いに行くって言ってるんだ」
霧島の驚いたような表情が、やがて泣き笑いのような表情に変わった。
「私も、いくつか苗を持って行ってあげるわ。……ふふ、忙しくなるわね」
楽しげにトリシャが笑い、つられるように顔を上げた少女が嬉しげに顔を綻ばせる。
病室には、このところ暖かくなりはじめた日差しが、惜しみなく降り注がれていた。本格的に暖かくなる前に植え付けを終えれば、今からでも薔薇の咲く庭が望めるだろう。
――枕元に活けられた薔薇が、陽光を浴びて柔らかく煌めいた。
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クリエイターコメント | このたびは、ご参加ありがとうございました!! 暖かな日差しに、かすかに香る薔薇の香り。
お楽しみいただければ、幸いです。
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公開日時 | 2009-03-20(金) 22:20 |
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